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22 自主性頼りの人材育成では日本を立て直せない

(2022/09/04)

人材育成は人材戦略の中核であり、組織にとって最も重要な成長施策といえますが、多くの戦略と相互に影響しあって複雑なうえに、思いのほか非科学的取り組みがなされているのにそれに気づかれていない、改善の宝の山のような業務といえます。

非常に大きな概念なので、人材戦略のサブセットではあるもののやはり効率的に目標達成するには戦略的な取り組みが必要でしょう。

ちなみに昨今のジョブ採用とか人的資本経営とかの考え方だと、人材育成は本人の自主性を容易に高められることが前提になっているように読みとれて、企業の発展存続がとどのつまりは個人のモチベーション頼みともいえる危うさを感じずにはいられません。

古書

労働者の半数が自主的学びに取り組んでいないのはいろいろな調査を見て明らかなのに、それでも自主性の発現に期待するのはどう考えても問題から目をそらしているようにしか思えないのです。

人材育成戦略の前提

戦略を考えるうえでの定石・コツは、かならずいちど最上位の目的に戻ることです。

人材育成で最終的に目指すこと・目的は、会社の存在意義をより良く達成するため、いいかえれば第一には商品やサービスなどの事業成果によってお客様(および社会)の課題をより良く解決すること、だと思えます。

なのですが、キャリアオーナーシップ概念やワークライフバランスなど企業の社員への責任が重要視されはじめていることを思い出し、人材育成が従業員個人の行動変容や意識構造への働きかけでもあることを踏まえると、事業パートナーである従業員の厚生にいかにどこまで取り組むか、従業員としての個人と会社と無関係な個人と、どこで線引きをするべきか考えなければならないでしょう。

その昔はさほど気にされなかった公害などの外部不経済の対策責任が企業に求められるようになり、エシカルな企業行動が求められるようになり、ダイバーシティが拡大して心理的契約も個人の価値観への歩み寄りが進み、社会の価値観は時代に合わせて変化していくものだろうから、少なくとも現時点で社会的に妥当な分岐点はそれなり根拠をもって決めておく必要はありそうです。

個人は心理的契約の曖昧さはあるものの事業に協力することを前提に入社しているわけだから、ここでは、会社は個人について会社目的の範囲を逸脱せず公平公正合理的な配慮をし、個人はパートナーとして事業に善良な協力と配慮をする、くらいの線引きで話を進めるとして、あくまで価値観に依存する部分なので、当事者ごとに線を引く位置は異なり各社ごとに決める必要があります。

人材版伊藤レポートを舐めるように見ましたが、従業員としての個人を育成する以上のニュアンスは感じられなかったので、当面はそういうスタンスで話を進めて良いことにします。

望ましい人材像を思い出す

何度か言及していますが、企業にとって望ましい人材とはエンプロイアビリティが高い人材であり、エンプロイアビリティとは

(1) 職務遂行に必要となる特定の知識・技能などの顕在的なもの
(2) 協調性、積極的等、職務遂行に当たり、各個人が保持している思考特性や行動特性にかかわるもの
(3) 動機、人柄、性格、信念、価値観などの潜在的な個人的属性に関するもの

の3層からなる、実践的な就業能力を意味する概念でした。

(2)思考特性や行動特性はいわゆるコンピテンシーですが、(1)特定の知識・技能いわゆるハードスキルと同じく会社や業務によって重要なものは個別特有で、会社目的や業務に適した育成が行われるべきものです。

(3)信念や価値観が会社のベクトルと一致することは仕事のやりがいや会社との一体感を持つのに重要で、いっぽう(1)顕在特性と(2)思考行動特性と(3)の個人的属性はバランスよく形成されないと、ミッション達成がおぼつかなくなるのでした。

(2)潜在的な思考行動特性や(3)価値観については、科学的な根拠を示して育成手段を提示できる段階でないので、以降はおもに(1)顕在的な知識技能を強化するための考え方と取り組み方について考えていきます。

なお人材育成に近い概念に人材開発がありますが、ここでは当面同じ概念として人材育成という言葉に統一します。

人材育成は深刻な構造的問題をもつ

中原は経験学習の理論的系譜と研究動向(日本労働研究雑誌No.639/October 2013)で、
近年
1)長期にわたる職場での学習・自己研鑽のモチベーションの消失
2)組織フラット化による管理職の多忙化と指導不足
3)能力の高い人への仕事の集中による能力格差の顕在化
などの諸現象が生まれ,職場の人材育成基盤は揺らぎを見せることになる。職場の人材育成基盤が機能不全に陥る一方で,しかし,グローバルな競争環境において,いち早く成果を出せる人材をただちに育成しなくてはならない
と危機感を示していて、にもかかわらず状況は改善の兆しさえ見られません。

本人の自主性に依存し実際にうまくいっていると思えない人材育成ですが、まさに日本企業が衰退してきた原因の一つといえそうな課題です。

生涯学習分科会企画部会(第2回)配付資料 資料2社会人の<学び>について(文部科学省 平成28年7月15日)によれば、1年以内に趣味を含め何らかの学びに取り組んだのは男女とも1~2割強(年齢帯別・「学び」実施率)にとどまるといい、男性の場合20歳台で2割強が学んでいるのに40歳台の学びは1割強まで減少しています。

少なからず日本社会に衝撃的問題提起をした未来人材ビジョン(経済産業省 2022年5月31日)も、40頁で社外学習・自己啓発を行っていない人の割合を世界最低水準の46%だと嘆いています。

世界最低水準の46%

自主性にゆだねていてはどう考えても絶望的なので、これほど学習意欲が低い原因に根本的な対策をとる必要がありそうです。

生涯学習分科会企画部会(第2回)配付資料 資料2社会人の<学び>についてが指摘する「学ぶ理由」と「学ばない理由」を見ると、

学ぶ理由
・現在の仕事のため(主に30-40代の男性で、年齢が上がると減少)
・「仕事」「趣味」を同時に学びの目的とする「複合」層が一定数存在
・学び続けている人は学ぶことそのものが「楽しみ」となる傾向
・20代男性は「就転職」や「将来に備え」て
だそうです。

いっぽう学ばない理由は、学び着手までの課題として
・費用の手当が難しい
・学習時間が取れない、仕事による疲労
に加え、
・学びの有効性に実感が持てない/自らの学習に対する自信が持てない
があると指摘します。

学習での成功体験を持っていないために自己効力感を失い学習性無力感に陥っている、学んでもムダという疑念を抱いている状態なのだといいます。

ここで、行動分析学が指摘する人が行動を起こす理由(オペラント条件づけ)を思い返すと、人は行動することで何らかの状況改善があってより好ましい状態になれる場合に行動を起こすのでした。

たとえば
・手持ちのお金が無い→仕事をする→報酬をもらえる
・夜の室内が真っ暗で見えない→照明のスイッチを入れる→明るくなって室内が見える
・仕事でストレスがたまっている→登山する→すがすがしい気分になる
といった塩梅です。

勉強しないことのデメリットがわからない、学ぶメリットがわからない、学ぶための基礎学力が無い、何を学べばいいかわからない、など、勉強することによる好ましい状況変化が期待できなかったり好ましくない今の状態から脱出できるのぞみが持てないから勉強しない、それと費用や時間の問題が相まって学習動機を消去しているのでしょうか。

さらには勉強しなくてもさしあたり当面、とても困難な事態に見舞われる可能性はそれほど高くない、と正常バイアスも働いているのかもしれません。

とうてい本人の自主性で状況が改善するとは考えにくくて、企業が今後生き残っていくには、人的資本経営などの楽観的理想論を無邪気に信じず、強く健全な危機感を持って社員の学びに積極的に介入していく必要がありそうです。

ちなみにポーターとローラーの期待理論を復習すると人は、自己効力感と報酬への魅力が努力を生み、努力の方向性が正しくて才能があれば成果が現れ、公平で適切な評価による外的報酬と自ら感じる内的報酬によって満足感を持ち、次なる報酬への期待を再生するのでした。

ポーターとローラーの期待理論

学びぶことに確かな手ごたえが得られれば学びは促進される、逆に言えば、企業がうまく社員を学ぶ手ごたえに誘導するのが肝心だと思えるのです。

成人学習

介入の仕方はかなり個別詳細になるので書ききれないものの、かなり強く介入する必要がありそうで、少しその参考になりそうな知見としてアンドラゴジー(成人学習)という概念があります。

子供の学びに関する研究は比較的活発で、客観主義(体系だった知識を決まった順番に積み上げ、順番に知識を授ける)を前提としたペタゴジー(教育学)という研究分野があるのですが、日本ではアンドラゴジー研究のほうはそれほど活発と言えなさそうで、正直有益な情報は多くは見つけだせていません。

成人学習の理論では、成人学習者は4段階の成長段階
(1)自分で学習内容を決定できず、なにをすべきか教えてくれる教師のような存在が必要
(2)自分で学習内容を決定でき、学習への動機や自信もあるが、学ぶ内容について知らず学習のためのガイドが必要
(3)自分で学習に必要なことを決定できるが、より深く学ぶためにファシリテーターが必要
(4)自分で自己決定的・自己主導的に学習を計画、実行、評価できる
に分類できるとされ、なによりステージに適合した支援が大事そうなことが読みとれます。

人的資本経営の人材育成に対するスタンスは明らかに自己決定的・自己主導的に学習できる格別な個人のことしか想定していないように読みとれて、でも実は発達途上で念入りなサポートの必要なセグメントこそ、本当に成長してほしいし伸びしろがある人材群なのです。

成人学習の前提として、
・学習者が主導だということを認識してもらえるように設計していく必要がある
・本人の経験を利用することで学習をより効果的にできる
・社会的な役割、つまり職業や役職、職位にフォーカスして学習者の課題を捉えることがポイント
・直近の課題を解決するために学んだ知識やスキルを活用・応用することを目的とする学習者が多い
・外発的動機よりも内発的動機に基づいている
といった特性を踏まえ、構成主義的(知りたいという思いをもとに考察や探索を行うことで、個人の欲求や目的・価値観が前提となって社会の事象から個人の事象に再構成される)な学習設計配慮が必要だとされます。

MBA

企業内の学び・学び直しを促進するためのガイドライン(労働政策審議会人材開発分科会)もやはりそのものずばりなDoHowのヒントを提供するものではありませんが、学ぶ環境をどう整備して実務につなげるかという観点ではかなり整理できたまとめになっていて、アンドラゴジーの知見と併せて戦略に展開して考えるとよさそうです。

大枠は以下のようになりそうですが、具体的な戦略設計は、いうまでもありませんが各社各様です。

人材育成の戦略PDCA

直接部門は事業戦略を、間接部門は経営戦略を当面の上位解決課題と位置づけ、それを解決するために部門の戦略目標をたて、それを実現するために行う人材関係の工夫が部門人材戦略になりますが、同時に短期的な業績達成のための技能強化も行う必要があります。

さらに長期の大計がある場合にはそれも考慮する必要があるのは言うまでもなく、部門と人事統括部門が協調して戦略展開していく必要があります。

どの育成段階でも常に喚起すべきなのは構成主義的な学習への動機で、そういう意味でキャリアオーナーシップの覚醒、成長意欲の刺激は欠かせないでしょう。

以下に示す人材育成のプロセスそのものはとりたてて戦略的とまでは言えないものの、企業が必ずしもコントロールできない本人のキャリア意識と連携し、かつ育成そのものも一筋縄でいかないことを考えると、やはり戦略的に取り組みたいところです。

短期人材育成

実務的には、中期人材戦略の実行と並行して1~2年の短期の取り組みがあって、こちらは企業の業績目標を達成するために社員の業務スキルを強化する取り組みといえます。

【plan】
部門業績目標を達成するために実行すべき業務を洗い出す
IT化など合理化効率化できる業務は業務改善を計画する
人手でやる業務に必要な技能と業務負荷を見積もる
現部門メンバーの保有技能・人数と必要リソースのギャップを把握する
部門として不足し強化すべき知識や技能をメンバーに仮に割り付けする
各メンバーと面談、短期的な技能向上目標に落とし込む
KPI設定(研修受講回数など)

【do】
研修など技能アップ対策の実施

【check】
実務の実施状況フォロー

【act】
随時適性や本人の変化に伴う見直し

といった取り組みが考えられるでしょう。

【職務要件定義】【技能マップ】【研修体系】
業務と技能は対応付けし、達成難易度をふまえて職務要件定義として見える化され管理する必要があって、各々の技能は研修体系と連携する必要があります。
厚労省がまとめている職業能力評価基準はかなり参考になって、この考え方を参考にするとよさそうです。

【職務能力DB】【キャリアプラン/目標管理】
現在の社員の職務能力情報をデータベース管理し、会社側が望む役割・成長目標と本人の希望をもとに各自のキャリアプランを作り、目標管理などに整理して職場での育成計画の基礎とします。
目標管理はしばしば人事考課(給与や昇進を判断する)のためのツールと誤解されがちですが、人事評価(育成や能力開発)の役に立つ手法です。

【研修受講計画】
今後担当する職務能力を身に着けるために必要な研修の受講を計画し受講し、またOJTや自己啓発も併せて行い実務で実践します。
実務が実行できたら、職務能力DBや目標管理を更新します。

これらを円滑に行うためには適切な研修設計、職場での実務や受講のフォローが必要になります。

中長期人材育成

中期人材育成は、5~10年後により良く目的を実行できる会社になるために、それを支える人材を育成する取り組みといえます。

【plan】
部門ビジョンを達成するための課題を洗い出す
刷新できる業務はIT化など業務改革を計画する
人手で解決する課題に必要なエンプロイアビリティと業務負荷を見積もる
現部門メンバーのエンプロイアビリティと必要エンプロイアビリティのギャップを把握する
部門として不足し強化すべきエンプロイアビリティをメンバーに仮に割り付けする
各メンバーと面談、中長期エンプロイアビリティ向上目標に落とし込む
KPI設定(知識や技能修得や行動変容の度合いなど)

【do】
エンプロイアビリティアップ強化の実施

【check】
成長状況のフォロー

【act】
随時適性や本人の変化に伴う見直し

といった取り組みが考えられます。
【キャリア定義】
【エンプロイアビリティマップ】
【研修体系】
【エンプロイアビリティDB】
【キャリアプラン/目標管理】
【研修受講計画】

などは短期管理の考え方を拡張すればよいでしょう。

企業内の学び・学び直しを促進するためのガイドライン(労働政策審議会人材開発分科会)を参照すれば、ある程度自社なりのPDCAを設計できそうですが、職務上の課題にかかわりの深いOJTやOff-JTを効果的に設計運用するには、さらに戦術のもう一工夫、ふた工夫が要りそうです。

辛口の補足

もっとも経営者が正しく学べていないと、部下は勉強してもその努力や価値を理解してもらえないし実践する機会もないから、たぶん勉強しなくなるでしょう。

社員の学びの姿勢が弱いとしたら、経営者にも原因があるのかもしれません。

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