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19 人材育成したら離職するというのは見当違い

(2022/09/04)

少し前の記事でエンプロイアビリティという概念に触れたのですが、これについてもう少し考えてみたいと思います。

エンプロイアビリティふりかえり

エンプロイアビリティとは、労働市場における労働者の実践的な就業能力を意味する言葉でEmploy(雇用する)とAbility(能力)を組み合わせた造語であって

(1) 職務遂行に必要となる特定の知識・技能などの顕在的なもの
(2) 協調性、積極的等、職務遂行に当たり、各個人が保持している思考特性や行動特性にかかわるもの
(3) 動機、人柄、性格、信念、価値観などの潜在的な個人的属性に関するもの

の3階層からなる能力のことでした。

もともとは1980年代以降の米国で登場した概念で、社会情勢の変化から企業が労働者の長期的雇用を保障できなくなり、長期雇用に代わる発展的な労使関係を構築するために、他社でも通用する能力を開発するための機会を提供する、という考え方が起源なのだそうです。

だから一般的には、転職できるための能力とかどの職場でも通用する能力といった、外的エンプロイアビリティといわれる「転職」に有利な能力のことを指して用いられることが多いのです。

転職

しかし、厚生労働省「能力開発基本調査(平成25年)」によれば、人材育成に当たって、指導者の不足(51%)、時間の不足(46%)、育成しても辞めてしまう(40%)、など、何らかの「問題がある」とする事業所は 70.7%だそうで、人材育成の負担感は少なくありません。

エンプロイアビリティが転職を有利化する能力だと考えると、企業が貴重な経営リソースを使って苦労して強化するのはちょっとサービスしすぎのような気もします。

外的エンプロイアビリティが高まってしまっては、本人の転職意識が強化されるかもしれないし価値のある労働者ということで他社からの引き抜きもあるかもしれなくて、これらが現実に起こったら事業への悪影響でしかなく、投入した手間ヒマ金のまる損になってしまうのをどう考えればよいのでしょうか。

内的エンプロイアビリティ

実はエンプロイアビリティには、現在の就業先で従業員がより長く雇用を獲得するための能力としての内的エンプロイアビリティという一面もあって、自社にとっての従業員価値を高めるという意義もあります。

以前触れましたが、今経済産業省が力を入れている政策のひとつが人的資本経営で、人材版伊藤レポートは「人的資本の価値創造は企業価値創造の中核に位置する」「企業は様々な経営上の課題に直面しているが、これらの課題は、人材面での課題と表裏一体」と指摘しています。

実践的な就業能力である内的エンプロイアビリティが高まれば、経営課題解決や企業価値創造に好ましい効果が得られ、従業員にとってはキャリアに対する満足感にも将来のキャリア展望にもプラスになるわけだから、お互いに好ましい方向性だといえるでしょう。

内外エンプロイアビリティ

実際人材育成の効果はいかほどのものかといえば、経済産業省がまとめたものづくり白書2018年版(HTML版)によれば、

・人材育成の取組を行っているにも関わらず、半数の企業がその成果があがっていないものの、
・「成果あり企業」では、「ベテランの技能者が多く、熟練技能者集団に近い」と回答した割合が最も高い一方、人材育成の「成果なし企業」では、「比較的単純な作業をこなす労働集約的な作業者集団に近い」
・人材育成の「成果あり企業」では、「成果なし企業」に比べて、人材の定着状況が「よくなった」と感じている
・人材育成の「成果なし企業」では、(労働生産性の)改善の取組において、・・・・労働生産性の向上に向けた取組が比較的低調
・人材育成の「成果あり企業」の方が、「技術水準や品質の向上」、「不良率の低下」、「製品やサービスに対する顧客満足度の向上」といった事象を挙げる割合がより高い

といった調査結果が示されていて、業務知識や技能習熟が必要な仕事つまり付加価値が高い仕事ほど人材育成効果は高く、育成によって人材定着効果が得られる、人材育成に熱心でうまくやれている企業の場合は労働生産性や品質、顧客満足度の改善も顕著な相関がみられるといった解釈ができそうです。

労働政策研究報告書No.147 中小企業における人材の採用と定着(平成 24年 3月)は、「組織コミットメント(残留・意欲)についてみると、最も強い関係をもつのは労働条件であり教育・研修がそれに次ぐ」「情緒的組織コミットメントについては、最も関係が強かったのは意義であり、経営者への信頼と教育・研修がそれに次いで強い関係」「キャリアコミットメントについては最も標準偏回帰係数が高いのは教育・研修」「コミットメント全般を見わたすと、職務内容と教育・研修がコミットメントの高さと関係が強い傾向」などと報告しています。

人材育成すなわちエンプロイアビリティ増進は、人材定着、労働生産性や品質、顧客満足度の改善に有効だと言い切って良さそうです。

エンプロイメンタビリティ

実はエンプロイアビリティにはエンプロイメンタビリティという対語があって、エンプロイアビリティ増進に取り組む雇用主の意識や精神を指します。

エンプロイメンタビリティの高い企業は、従業員を現在の労働力として雇うだけでなくその将来まで見据えて教育を行なっていることになり、そうした企業は従業員や求職者から見ても非常に魅力的な就業先だといえます。

よってエンプロイメンタビリティの高い企業は、それだけ人材を「雇用する能力」が高い企業である、従業員が定着・活躍する組織であるといえそうです。

ちなみに人材育成がコミットメント強化・定着性改善に寄与するという研究は多々あるものの、離職を促進する可能性を示唆する研究は見当たらなくて、人材育成による離職増加の心配は取り越し苦労なのかもしれません。

注)もっとも、ベテランの離職をどう防止するか前の記事で説明したように、心理的契約の不履行や組織の不公正、正当でない心理的契約不履行、組織コミットメント低下・信頼低下などは離職動機の強化になり人材育成の定着効果を減じてしまうし、給与や安全など衛生要因が根本的に劣っているような場合も離職を促進するので、働き甲斐のある仕事と社員を大切にする職場にしていくのが大前提と考えるべきでしょう。

エンプロイアビリティを強化

ではどんな風にエンプロイアビリティを強化していけばよいかというと、そもそも

(1) 職務遂行に必要となる特定の知識・技能などの顕在的なもの
(2) 協調性、積極的等、職務遂行に当たり、各個人が保持している思考特性や行動特性にかかわるもの
(3) 動機、人柄、性格、信念、価値観などの潜在的な個人的属性に関するもの

の3階層があったのでした。

職務遂行に必要となる特定の知識・技能などの顕在的なものとは、技術、スキルといった技能であり、各個人が保持している思考特性や行動特性にかかわるものとしては〇〇力やコンピテンシーといったものが該当するでしょう。

また潜在的な個人的属性に関するものに該当するのは志、自己効力感、価値観などでしょうか。

これによく似た概念が「最終目的は心技体の錬成であり、それによって立派な人間になることである」という柔道の本質の「心技体」です。

柔道

注)1953年に柔道家の道長伯氏が、来日したフランス柔道連盟会長に「柔道とは一体何か」との問いに対し「最終目的は心技体の錬成であり、それによって立派な人間になることである」と答えたのが起源らしいです。

第一:身体の発育、第二:勝負術の鍛錬、第三:精神の修養は、「相互訓練して居れるを以て単に一つの法のみを研究すべきものにあらず」とされ、バランスよく鍛えていくべきものとされています。

エンプロイアビリティも知識・技能、各個人思考特性や行動特性、潜在的な個人的属性のそれぞれをバランスよく育成することが重要なのかもしれません。

会社の理念やミッションへの共感がなければ技能やコンピテンシーを修得する動機が弱いし、技能やコンピテンシーが欠如していてはミッション達成がおぼつかなく達成感を味わうこともままなりません。

しかし知識・技能は比較的習得容易としても、思考特性や行動特性、潜在的な個人的属性などの強化育成は容易ではなさそうです。

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