
(2025/12/02)
前記事(第16話)で考察したように、組織アイデンティティは経営環境変化などの適応課題に整然と対処できる組織になるための要と確信できそうですが、その効能を発現するには、自組織に合わせ正しく設計実装し運用していく必要がありそうです。
この記事では、多数あるアイデンティティや理念などの研究から組織アイデンティティ設計運用のヒントを見出していきます。
なお、本来厳密には経営理念とアイデンティティは別物ながら当記事でもこれまでの記事と同様ほぼ同義として扱い、また組織アイデンティティ≒企業アイデンティティとして取り扱います。
また広義の組織アイデンティティはシンボリズムの設計やコミュニケーションの展開など組織外部への適応機能も包含しますが、ここでは狭義の組織アイデンティティについて考えます。
北原は企業における経営理念と企業パフォーマンスとの関係(経営情報学会 全国研究発表大会要旨集/2010年秋季全国研究発表大会)で、
経営理念に行動を規定する要因を入れている企業と入れていない企業では、入れている企業の方が企業パフォーマンスが高い傾向
経営理念には単に崇高な理念のみを掲げるのではなく、従業員に行動を促すことができるような経営理念が組織体全体への深い浸透に繋がり、企業パフォーマンス向上に有効
と指摘し、行動を促すことに加えそのキーワードに込められた意味や経緯も段階的に明示すること、掲示方法を工夫することなど、運用の工夫が経営理念の実効性を高め企業パフォーマンスを高める傾向があることを示唆しています。
もっとも、経営理念をそれらしく作りさえすれば業績が上がるという訳ではなく、うまく浸透していてのことなのは言うまでもありません。
廣川は経営理念浸透尺度の開発(産業・組織心理学研究/36 巻 (2022) 2 号)で、経営理念浸透の下位因子として「認知」「共感的理解」「行動」の3因子を見出し、「認知」という浸透が浅い段階から「共感的理解」、「行動」と徐々に浸透段階が深まってコミットメントや内発的動機づけも強まるとしています。
ここで、経営理念の「認知」とは経営理念の概要を知っている、内容を覚えていて他者に説明できるくらい理解している段階であり、「共感的理解」は,経営理念の内容を受け入れる、自分自身の価値観と一致しているなど経営理念への共感を伴って理解している段階、「行動」は経営理念に基づいた行動や経営理念実現に向けた行動ができている段階であるとしています。
組織もしくは企業アイデンティティがビジネスで効果を出すには、構成員の「認知」「共感的理解」「行動」というステージアップを促すことに加えそもそもアイデンティティを浸透しやすいかたちで具現化する、つまり受け入れられやすいスローガンに視覚化する必要があって、当記事ではアイデンティティを浸透するための取り組みについての先行研究の知見を
設計・明文化 → 周知・認知 → 共感 → 判断・行動
というステージに分けて考えます。
川北は「企業らしさ」 とは何か: 広報研究から見た経営理念, 組織アイデンティティ(南山経営研究, 2024-nanzan-u.repo.nii.ac.jp)で、
経営理念にはより大きな理念から具体的な行動指針までの階層構造をもつ場合がある
(1)会社の使命や存在意義についての経営理念
(2)これを具体化し実行あらしめる経営方針
(3)社員の行動を指示する行動指針
と指摘します。
使命や存在意義は長期的で比較的安定した概念・信念であって、いっぽう下層の方針・指針等は、いわば上層コンセプトを実現するための方法・取り組み指針なので経営環境変化に応じてチューニングすることも必要になります。
あくまでも下層は上層に準拠し全体一貫性が必要なのはいうまでもなく、戦略、戦術や業務マネジメントなどもこれらに準拠している必要があります。
またアイデンティティには入れ子構造(メンバーが所属グループや所属事業部といった下位組織から企業全体組織まで,様々な単位でのアイデンティフィケーションを持つ)、横断的アイデンティティ(職業など他グループへのアイデンティフィケーションを感じること)があるとされ、これらと組織のアイデンティティが矛盾しないことも必要です。
理念の内容表現が具体的な場合は「理解→行動」というプロセスをとり、抽象的な場合は既有知識だけでは掲げられた文言を理解することはできず、行動することでその意味を理解していく「行動→理解」のプロセスをとる、ともいわれ、とはいえ異なる複数の解釈ができるのは混乱の元で、シンプルであり誰が考えても同じ解釈になり、行動がアイデンティティに準拠しているかどうか判断できることが重要です。
大切なことをすべて盛り込もうとすることでますます複雑になったり他社と似通ったアイデンティティになることも少なくないといわれ、自社使命の達成のための核心を明確にしたいものです。
横川は経営理念:その機能的側面と制度的側面(経営戦略研究 号3,p.5-20,発行日2009-08-20)で「一次浸透メカニズム」と「二次浸透メカニズム」からなる理念浸透メカニズムに言及し、
「一次浸透メカニズム」として
(1)リーダーの経営理念への注目と、それに基づく測定・管理の体現
(2)リーダーの危機的状況に対する対応の仕方
(3)リーダーの資源割当に対する規範の提示
(4)リーダーの思慮ある役割モデリング、教育、指導の姿勢
(5)リーダーの報酬・地位の付与・割当に対する規範の提示
(6)リーダーの採用、選抜、昇進、退職、除籍に対する規範の提示
を挙げ、「二次浸透メカニズム」として
(1)組織デザインや組織構造
(2)組織システムや手続
(3)組織内で行われる儀式や儀礼
(4)物理的なスペース、外見のデザイン、建物
(5)人や出来事に関する物語、伝説
(6)リーダーの経営理念、組織としての価値観の公式な場での表明
を示したうえで、
理念浸透においては、「一次浸透メカニズム」に効果があり、「二次浸透メカニズム」は「一次浸透メカニズム」を補完するものとなる。「二次浸透メカニズム」だけでは、理念浸透の効果はあまり発揮されない。「一次浸透メカニズム」はリーダーが理念浸透につき、いかに深く関与しているかと言い換えることができる。
といいます。
トップマネジメントの理念準拠の率先垂範、つまりいわゆるリーダーシップこそが理念浸透の要であるということになります。
また高は経営理念はパフォーマンスに影響を及ぼすか--経営理念の浸透に関する調査結果をもとに-(麗澤経済研究 18(1) 2010.3)で、
(1)上司の理念に対する姿勢は,部下の情緒的なコミットメント(組織としての一体感)に作用する。
(2)組織に対する情緒的コミットメントが,経営理念への浸透において重要な役割を果たしているのみならず,組織成員のパフォーマンスにも影響を及ぼす。言い換えれば,経営理念の浸透が,職務関与や革新志向性への働きかけを通じて,組織成員個々のパフォーマンスにも影響を及ぼす。
(3)上司の言動などは,浸透施策(教育訓練)によって大きな影響を受ける。 特に,幹部向け研修が重要な意味をもってくる。
とし、幹部・管理職の理念尊重姿勢が部下への理念浸透に大きな影響を与えることを指摘します。
つまり、トップが実際に率先垂範してみせて幹部・管理職が共感し言動で示すことで理念はようやく社内で認知される、組織設計や儀式・儀礼、リーダーの経営理念表明などうわべだけでは理念浸透はおぼつかない、ということです。

経営理念浸透に課題がある組織は、とどのつまり、トップマネジメントが経営理念を軽視し幹部・管理職が経営理念をおろそかにしているに他ならないのです。
組織アイデンティティは行動に反映されてようやくその効果を出すわけですが、文言を知っているだけでなく、それを自分事として実践する意義に覚醒していることが重要です。
責任所在が明確であったり結果が予想しやすい業務上の役割行動については賞罰規定により強制できますが、分掌が不明瞭な行動は強制できず自発的取り組みに期待するよりないし、構成員も理念に共感しなければ報酬に見合う貢献しかしないでしょう。
共感を伴い経営理念が腑に落ちている「共感的理解段階」に昇華できれば、経営理念の内容は自分自身の価値観と一致しているから理念準拠行動は自己実現的であるといえ、満足度やコミットメントも高まるし内的報酬という動機づけができるので、組織にも構成員にもより多くのメリットが期待できます。
個人が組織アイデンティティを咀嚼消化する過程として知られているプロセスにアイデンティフィケーションやセンスメイキングなどがあります。
組織アイデンティティと個人のアイデンティティの一致度が高まるプロセスはアイデンティフィケーションと呼ばれ、
金は組織アイデンティフィケーション研究の新展開-関係アイデンティティとアイデンティフィケーションに注目して(北海学園大学 開発研究所 研究紀要 開発論集 第108号 30-Sep-2021)で
社会的集団に対する成員性(membership)の認知によって、個人が集団の特性を内面化し、自己定義する程度のことを指す。つまり、組織アイデンティフィケーションは、所属する組織に対する一体感(oneness)や所属感(belongingness)の認知として捉えられ、組織と個人の価値や信念が一致している程度と言える。この意味で、組織アイデンティフィケーションは社会的アイデンティフィケーションの一形態と見なすことができる。
また、組織アイデンティフィケーションは,個人と組織の心理的つながり(sense of linkage)であり、自分を職務集団や組織の一部として認知する心理的な状態とも言える
と言います。
アイデンティフィケーションが進むほど、組織アイデンティティを自分事と考えると言えそうです。
もっとも、そもそもの個人の価値観と組織の価値観が全く異なっていたら、アイデンティフィケーションは容易ではないのかもしれません。
いっぽう池田は組織変革における組織ビジョンとアイデンティティの構築(情報コミュニケーション研究論集 巻13,p.1-14,2017-09-08)で、組織の変革期においてセンスメイキングについて
組織ビジョンが曖昧さや不確実性を伴う時,それがセンスギビングとなって組織メンバーに引き起こされるセンスメーキングの過程では,「自分とは何か」,「仕事とは何か」,「会社とは何か」といった組織の日常の問題化が促される。その意味づけは個々の解釈に委ねられるため,そこでは多義的な状況が生み出される。その結果,個人や部署のアイデンティティが強すぎて組織アイデンティティが確立されない可能性がある一方で,その多様性から創造性が生み出される可能性もある
と言います。
すでに構成員にかなり強い組織コミットメントがある状態で組織が環境変化適応に迫られたとき、たとえば危機感が強く一蓮托生なベンチャー企業のような組織なら、構成員が組織アイデンティティの新たな落としどころを自発的に模索し考え共有する、といったようなニュアンスでしょう。
金らは組織コントロール戦略の新たなアプローチ-アイデンティティとアイデンティフィケーションの視点から(早稲田商學 巻447-448,p.1-34,2016-09-15)で、アイデンティフィケーションの先行要因を
組織的要因には組織威信、組織イメージ、組織の評判と目標、組織支援の認知、組織コミュニケーションなどがあり、個人的要因に個人と組織の目標や価値の一致、組織への満足感や在籍期間、個人のアイデンティティなどがある
としていますが、具体的にどう構成員に働きかければアイデンティフィケーションが促進されるか、言及はありません。
アイデンティフィケーションとセンスメイキングの他にも、個人と組織のマッチング・フィットや個人のパーパスやミッション・パーパスドリブン、といった理念浸透メカニズムの主張があって、粟野のレビュー理念浸透研究の4つのカテゴリーと2つのパースペクティブ― 海外の理念浸透研究の概観からの探索 ―(経営哲学/19 巻 (2022) 2 号)が参考になります。
とはいえ、理念や組織アイデンティティへの共感を促進するにはどうすればよいのか、という疑問の回答はやはり見出せません。
ここで少し見方を変えると、アイデンティフィケーションは組織順応の一つと考えれば組織社会化プロセスの一部であるともいえます。
組織社会化はしばしば新入社員の組織順応の際に議論されるテーマですが、その過程を正統的周辺参加という概念で説明することがあります。
学習を単なる「知識の教授(teaching)」とは捉えず、実践的な行動による学習者の能動的な「学び(learning)」であることを強調し、学習を学習者による共同体への「参加(participation)」に関わる問題ととらえるのだそうです。
渡辺は状況的学習論の経営理念研究への展開に関する一考察(旭川大学経済学部紀要, 第70号 2011年3月)で、
・理解と経験は絶えざる相互作用のうちにあるということであり、相互構成的知識や技能が状況から切り離されたものとはせず、実践共同体との関わり合いの中で、獲得されるものである
・共同体への参加の過程で、学習者は、アイデンティティや成員性を形成する。つまり、新参者は共同体の古参者になるにつれて、実践から知識を獲得するとともに「一人前」となる
・実践共同体のなかで十全的参加に向かうことの意味は、アイデンティティの変容であり、成員性の形成である
・かなり限定された任務を遂行することから始め、習熟するにつれて複雑な業務手順へと進んで、一連の業務を習熟して順々に、アクセス可能な資源を増やしていく、正統的に周辺的な作業から共同体への参加を深めていく
・職務を拡大することができないと、周辺的な作業から共同体への参加を深めていくことができず未熟練の安価な労働力になる
と主張しています。
詳しくは文献を精読していただくとして、上記が示唆することとして
組織への周辺的参加の中で学習とともにアイデンティティの変容が起きる
職務を拡大すること(常に新しい学習資源へアクセスする)が重要
と理解すると、「作業全体の構造や意味を学びながら」新規業務の習熟に取り組み、不慣れや不安というコンフリクトを解消するために実践を振り返り、抽象概念化し、積極的な実験を経て次のステージに至るといういわゆる経験学習サイクルがアイデンティティの変容を促進する、と解釈出来て、ならば振り返りや抽象概念化に組織アイデンティティを意識化する手順を組み込むのがよさそうです。

ルーチンに業務をこなしている間では経験学習サイクルが回る機会は少ないものの、異動、昇進、業務見直しや改善活動、さらには職位に応じた適応課題への取り組みなど、入社期以降も周辺的参加学習のチャンスは多々あって、この機会をアイデンティフィケーションのきっかけに活用できそうです。
周辺的参加によるアイデンティティ変容については、亀井の職場参加におけるアイデンティティ変容と学びの組織化の関係新人の視点から見た学びの手がかりをめぐって(発達心理学研究2006,第17巻,第1号,14−27)や、神戸の正統的周辺参加」理論を用いたインターンシップ教育の考察 : 学生および受け入れ企業双方のアイデンティティ変容と学びの手がかりを中心として(山陽学園短期大学紀要/39 巻 (2008))も非常に参考になります。
判断や行動を促進するためには、逆に「やらない原因」を潰すことが有効でしょう。
行動の原因を明らかにする科学とされる行動分析学によれば、行動が生起しないとき
(1)なぜしなければならないかわからない(知識不足)
(2)わかっていてもやれない(技能不足)
(3)やる力量があってもやらない(行動随伴性)
といった要因があるといいます。
<知識不足>
もっとも初歩的な知識不足は、組織アイデンティティの意味が分からなかったり従わなければならない理由がわからない、ということですが、設計・認知施策を適切にやっていれば、共感の有無はともかく組織アイデンティティを実践しなければならないことは承知できているはずです。
もっともその前に、そもそも個人のアイデンティティや価値観が組織のそれとまったく食い違っている場合もあって、この場合にはアイデンティフィケーションによる変容は難しいと考える方が合理的かもしれません。
<技能不足>
アイデンティティが本領を発揮するのは言わずもがな適応課題に対処する時ですが、これに場当たりで自己流に対処したのでは事態好転はほとんど期待できないし、そもそも手をこまねくことになります。
経営学や産業組織心理学、認知科学などをはじめとした、科学的根拠のある解決手法である多くのセオリーを正しく実践すること、そのために構成員の課題解決スキルを常から戦略的に涵養しておく必要があります。
<行動随伴性>
課題解決できる力量があってもやらない原因の一つに、組織アイデンティティの多重性・顕在性の影響があります。
金らは組織コントロール戦略の新たなアプローチ-アイデンティティとアイデンティフィケーションの視点から(早稲田商學 巻447-448,p.1-34,発行日 2016-09-15)で
・多重性
組織の中の個人は複数の集団すなわちチーム,部門,事業部などに属しており,そうした個人は同時に複数の集団にアイデンティフィケーションする
・顕在性
個人とより密接な関係をもつ部門へのアイデンティフィケーション,すなわち部門の一員としてのアイデンティティが組織の一員としてのアイデンティティよりも鮮明になる
に言及し、部署・部門のアイデンティティが組織のそれと必ずしも一致せず、その場合構成員は部署・部門にアイデンティフィケーションする、つまり組織アイデンティティに従わないのだといいます。
また前述の技能不足に関連する問題ですが、構成員がセオリー上正しい行動をしようとしても上司や同僚がその有効性を理解できず抵抗したら良い結果は得られないし、それが繰り返されると学習性無気力に陥るでしょう。
あるいは構成員が良策を着想しても、言ったもの負けになったり行動に移しても周囲から否定的に評価されるなど、行動分析学でいうところの嫌子が存在すると行動は抑制されます。
アイデンティティ準拠行動には周囲からの好ましい評価や協力など、いわゆる好子を提示する仕組みが必要です。
この記事ではアイデンティティの設計から浸透、行動に触れましたが、アイデンティティの設計浸透はISO9004では箇条6 組織のアイデンティティ と箇条7.1 リーダーシップ一般 にも該当し、観察(Observe)でもあり方向づけ(Orient)でもある段階であるといえます。
参鍋は経営方針の周知とカイゼン意識のもたらす企業業績への影響(国民経済雑誌 211巻6号(2015-06))で、経営方針の効能に関して
経営方針の周知を図ることで、従業員は何に努力を傾注すればよいかわかり、それは言い換えれば何をしない方がよいのか、という情報にもつながっている
と指摘しています。
参鍋のこの主張はあくまでも経営方針に関しての話しですが、考えてみれば組織アイデンティティの使命、ビジョン、価値観、文化もまた、何に努力すべきか・何をすべきでないかを示すものだし、そのように機能するように設計し運用していくべきものだと思えてきます。
とはいえ多くの研究からわかるように、理念やアイデンティティを定めたり周知しただけでは効果は期待できず、経営者が率先して地道に認知を深め構成員の腑に落として、かつ理念を実践するための幅広い力量の具備を促進する必要があります。
この記事で触れた取り組みで十分とは必ずしも言えないものの、いずれにしても地道で愚直にして戦略的な取り組みができる組織こそが、誰にとっても良い組織になれるのだということなのでしょう。